時代的要請としての市民的抵抗

H14/07/12


 「兵士は人殺しだ」(一九三一年、作家クルト・トゥホルスキ)

 「今日、軍人になる訓練とは、職業犯罪人の高等養成所なのです」(一九五九年、神学者マルティン・ニーメラー)

蘇るドイツの警句

 「ならず者国家」や「テロリスト」の犠牲者を防ぎ救うための軍事介入は、法的・道義的に問題ない−−。

 米国をはじめとする先進国は、このように「戦争による平和」、「暴力による人権」の逆説を正当化し、自らと同調する諸国を「文明」や「国際社会」と同列に置いている。その結果、国連や国際法はないがしろにされ、無辜(むこ)の人命が奪われている。平和で公正な世界を目指したはずの二十一世紀に入って、ナチ時代を挟んだドイツの警句が切実に蘇る。

 ただし、同じ先進国でも、欧州は米国流の力ずくの「正義」に批判的で、「対テロ戦争」を米国への全面服従の強要と受け止めている。米国の国際刑事裁判所拒否には、憤激すら起こっている。競争と消費に明け暮れ、ひたすら物質的豊かさを追求する生活様式にも、欧州の違和感はかなり深い。

 五月下旬のブッシュ訪欧は、欧米間の認識の落差を端的に示した。独週刊誌『シュピーゲル』によると、米大統領への否定的評価(英48%、仏51%、独50%、スペイン44%)は、肯定派(それぞれ38%、26%、19%、14%)を大きく引き離した。

 特にドイツでは、ナチ時代の反省から、「人間の尊厳」への責任倫理が強い。とはいえ、ユーゴ・アフガン空爆への支持・不支持は東西で対照的だ。旧東独市民は、独裁政権を倒した「非暴力」の強さを直接知っている。経済的・軍事的に最強の文明圏である西側が、「人間の尊厳」をご都合主義的に使い分けてはならないとの思いはそれだけ強い。

民主主義の内実度

 たしかにドイツは、いわゆる有事法制に似た非常事態法を持っている(一九六八年五月、西独で可決)。しかし、この国が軍国主義化を免れたのは、議会の形骸化と社会の軍事化に抗した市民運動に決定的に負っている。「抵抗権」の定着は、その成果の一つである。

 権力の不法行為に対する市民的不服従は、その国の民主主義の内実度を物語る。究極の「有事」で、「敵」を殺さなければならない時、内面の規範に従って、軍務を拒否できるだろうか。

 第二次大戦中、ドイツでは三万人の脱走兵に死刑が宣告され、二万二千人に執行された。一連の不当判決は、今年五月十七日の国会決議で、ようやく一括破棄された。偏狭なナショナリズムと戦争がもたらす「悲しむ能力の欠如」は、これほどまでに深刻だ。ちなみに、アウシュヴィッツ絶滅収容所の所長だったルドルフ・ヘスは、ナチ親衛隊の手本が、国家と天皇のため自分を犠牲にする日本人だったと述懐している。