今週の月曜日(一月二十七日)、ドイツは「ナチズムの犠牲者追悼の日」だった。一九四五年のこの日、アウシュヴィッツ強制収容所が赤軍に解放されたのにちなんで、一九九六年に当時のヘルツォーク大統領の提唱で制定された記念日である。
今年の「追悼の日」には、ブーヘンヴァルト強制収容所の囚人だったスペインの作家センプルンが中央式典で、「自己の歴史に関するドイツ人の悲しみは、一つの新しいナショナル・アイデンティーを基礎づけている」と述べ、また連邦政府と在独ユダヤ人中央評議会との間で、相互協力の国家条約が結ばれた。
日本との対比で理想化されがちなドイツの「過去の克服」だが、もちろん未解決の問題もある。最近では、イタリアやギリシャの山中でパルチザン掃討を口実に国防軍山岳部隊が行った一般住民への虐殺行為が話題になった。
旧西独では長年、ナチスのみに戦争責任を負わせ、ヒトラー暗殺未遂事件をアリバイに、国防軍の「伝統」と「栄光」が強調されていた。この神話は九〇年代半ばに崩れたが、国防軍の「潔白」に固執する声は今でも根強い。
しかも、かつての国防軍は、今日の連邦軍の土台である。くだんの山岳部隊は、昨年総選挙で保守派首相候補だったシュトイバー・バイエルン州首相を戦友会の後援者としている。自身この部隊で基礎兵役を務めた州首相は、「過去と現在の山岳部隊の成果を特別誇りに思う」と広言している。
往時の戦争犯罪について、戦友会の会報は「不運は永遠には続かない。この国に必要なのは、いつまでも過去を振り返ることではない」と無視を決め込んでいる。こうして、肉親や隣人を失った人々は、ドイツからの謝罪も補償も一切ないまま、晩年の日々を送っている。
それでもドイツでは、自分たちが歴史上大きな過ちを犯したという根本認識が確立している。昨年の選挙戦中、メレマン自由民主党副党首が、中東情勢に関連し「反ユダヤ主義の原因はユダヤ人自身」と、まさに反ユダヤ主義的な発言をして政治生命の危機に立たされた。戦間期なら喝さいを浴びたはずの言辞が今では命取りになりかねない現実は、この国の政治文化の深化を物語っている。
翻って日本では「教科書」「靖国」と、明治期に創造された「伝統」イデオロギーが後生大事にされ、「拉致問題」をバネに国家主義・排外主義がますます昂進している。歴史的文脈を無視した攻撃的論調は、不都合な事実を「記憶口」に投げ込んで葬り去るオーウェルの『一九八四年』の世界を想起させる。「二重思考」を働かせて権力の「真実管理」を容認し、「憎悪週間」で憂さを晴らす姿は、私たちと無縁だろうか。
「過去の重荷」を生産的に生かすことは、十分可能だ。日々のルーティーンに追われ、リアルタイムにありながら、危機をそれとして見抜く洞察力に歴史認識は欠かせない。
やはり、「過去」を忘れまい。「ファシズムは、今でも私たちのまわりに、時にはなにげない装いでいる」(エーコ)のだから。