古都ドレスデンを瞬く間に飲み込んだエルベ川の氾濫(八月中旬)、与野党がまれに見る激戦を展開した連邦議会選挙(九月二十二日)、かつて東西冷戦の象徴だったベルリンのブランデンブルク門が修復工事を経て一年十カ月ぶりに姿を現した統一十二周年記念式典(十月三日)と、ドイツ絡みのニュースがこのところ相次いだ。ドイツ現代政治を専攻する一人として、ここでは総選挙の意義に触れておきたい。
連邦議会選挙の結果は、日本でもある程度報道された。与党の社会民主党と野党のキリスト教民主・社会同盟が、ともに得票率38・5%を記録するという珍事は、グローバル化と欧州統合の渦中にあって、経済的業績と社会的公正のいずれを優先させるべきか苦悩する選挙民の姿を端的に物語っている。結局、90年連合/緑の党の善戦で、「赤緑連合政権」は、さらに四年間の国政運営を付託されることになった。
実は、この政権維持は、旧東独の有権者が決め手となった。選挙結果を東西別に見ると、「赤緑」の得票率は、西で前回九八年より1・9ポイント減、東で5・3ポイント増と、まるで正反対なのである。
東独の投票者数は、全体の二割にも満たない。統一ドイツが誕生したころ、多勢に無勢の東独市民は国政全般に大きな影響を及ぼせるはずがないと言われていた。今回の結果は、そうした算術的な民主主義観をものの見事に打ち破ったことになる。
九八年選挙での勝利後、シュレーダー首相は、東独再建を「首相専権事項」にすると公言した。だがその成果は、はかばかしくない。
九七年以降、東西間の経済格差は開く一方だ。「9・11」で世界中が不況に見舞われた昨年、西独のGDPは前年を1・7%上回ったのに、東では0・6%落ち込み、九二年以来のマイナス成長を記録した。最新の失業率は17・2%と、依然西の倍以上の水準だ。
それではなぜ、東独の有権者は現政権を支持したのか。それは、シュレーダー首相の機敏な洪水対策と、イラク攻撃への明確な反対に由来する。特に後者の問題については、東独市民が、八九年平和革命の精神的遺産として、平和的手段による平和を強く志向している点を指摘しておきたい。
他方、野党のシュトイバー首相候補は、その右翼的体質が嫌われただけでなく、旧共産党が有力な東独諸州を財政的に締め上げるべきだといった往時の東独蔑視(べっし)的言動のツケを払う羽目になった。
洋の東西を問わず、「民主主義=多数決」という観念は根強い。「統一」後のドイツでも、少数派である東独市民の生活様式や価値観はことごとく否定されていった。
だが、民主主義の基本はまず、他者の考え方や生き方を尊重することにあるはずである。多数派が少数派から学習する能力を欠くなら、それは多数の暴力でしかない。
日本の社会は極端に同調志向が強く、多数派が少数派に「寛容」を強要する倒錯した状況も見られる。敗戦から五十七年、私たちの精神構造はどれほど民主的であろうか。