第二次世界大戦での無条件降伏から五十八年目の先週金曜日、ドイツでは特段の関連行事は催されなかった。その背景には、一九四五年五月八日を国家が崩壊した「敗戦」の日ではなく、ナチス暴力支配からの「解放」の日として受け止める国民意識の定着がある。
だが、あの戦争は依然ドイツ人の重大関心事である。昨年は、大戦末期ドイツの難民船がソ連の魚雷に撃沈された事件を扱ったグラスの小説「蟹の横歩き」や、米英の対独空襲を詳細に分析したフリードリヒの「火焔(えん)」など、「被害者」としての自国民を想起する著作が注目を集めた。特に後者はイギリスで、「ナチス・ドイツの自己正当化」といった反発まで引き起こした。
言うまでもなくドイツでは、人間蔑視(べっし)のナチス体制が第二次大戦を引き起こしたという基本認識に異論の余地はない。だからこそ、空襲に関してこの国では、基本的に「加害者」としての「半分の記憶」が甘受されてきた。自国側の犠牲に着目することで、自分たちの罪の軽減・消滅を企てているのではないかとの疑念が周囲に生じるのを怖れたためである。
また、自国での危険な政治反動に対する懸念も存在した。実際、一九四五年二月十三、十四日、米英の猛爆で灰燼(かいじん)に帰したドレスデンでは、ヒトラーを「ドイツ人の偉大さの代弁者かつ保証人」などと讃える極右・ネオナチが、毎年「葬送行進」を挙行している。
だが、彼らが何を喧伝(けんでん)しようと、ドレスデンの死者の追悼が、アウシュビッツの罪を軽くするはずもない。先にドイツ軍がワルシャワやコベントリーに爆弾の雨を降らせた事実も、帳消しにはならない。
そもそも歴史的真実とは、それが誰に利するのかをおもんぱかってから究明すべき筋合いのものではない。学問的原則に基づいて明らかにされた史実は、あくまで真面目に受け入れる必要がある。
既に当時国際法は、無差別爆撃を禁じていた。その意味で、米英の行為は、六十万人以上の無防備な一般ドイツ市民(つまり女性、子ども、老人)を殺戮(りく)した「戦争テロ」と呼べるだろう。
「空襲の記憶」のより根源的な問題提起は、不法行為に対し不法行為で報いることの是非に関わる。仮に「目には目を」を容認したとしても、ドイツ諸都市を破壊した爆撃機の操縦席にいたのは、ゲルニカの生き残りでも、ユダヤ人、ロシア人でもないのである。
軍国日本もまた、重慶爆撃などの蛮行を働いた。だからと言って、原爆投下や八月十四日の大阪空襲は、戦略的・道義的に肯定されるのか。もっともブッシュ大統領によると、日米は「一世紀半の間、最も偉大かつ長続きする同盟関係」にあるそうなので、そんな出来事は「まぼろし」かもしれないが。
戦争被害者は、物理的・精神的に深い傷を負っている。彼らへの共感は、自己の責任に自覚的で、他者と和解的でなければならない。それは、暴力・憎悪・ヒステリーの政治を拒否する点で、空爆の恐怖におびえ泣き叫ぶイラクの子どもたちを思う国際的な反戦世論と共鳴する。
金正日という絶好の敵役を得た日本は、「テロと偽善をひたすら信奉する知的風土」(チョムスキー)の米国が世界各地で展開する軍事的威嚇と戦争の政策に寄り添い、全社会的な軍事化・総動員体制化を進めている。有事の指揮権を握る「同盟国」への盲従は、「平和を愛する諸国民の公正と信義」に自ら背き、またしても殺す側に身を置くことを意味する。