「サダム以後」の国際政治 『グローバル・ヴィジョン』誌(2004年3月号)所収


【ペナン発】東南アジアの紛争解決をめざす研究者たちのネットワーク会議のため、マレーシアのペナンに来ている。当地のマレーシア科学大学の社会科学研究大学院のなかにこのネットワークの事務局があるためペナンでの開催になったが、スウェーデン政府の支援を受けて初の開催にこぎつけた全域的なネットワーク会議では、ASEAN(東南アジア諸国連合)10カ国のそれぞれで活動する支部の関係者や、関心を共有する研究者や個人の資格で参加する政府当局者らが東南アジア地域の内外から200人ほど集まった。
 
 大会は、「サダム以後」の国際政治を筆者に考えさせる一つの機会を提供してくれた。
 「サダム以後」とあえて書いたのは、昨年3月20日のイラク戦争開戦時から行方をくらまし、ブッシュ大統領が5月1日の大規模な戦闘の終結宣言を行った後も所在がわからなかったサダム・フセイン元大統領が12月13日、出身地ティクリット郊外の農家の地下に作られた穴蔵で米軍に身柄を拘束されて以降、やはり国際政治に大きな変化が見られていると考えるからである。

「赤い夜明け」作戦

 そのニュースは世界を沸かせた。
やつれ果て、伸び放題に伸びた髭にみすぼらしい姿になった元大統領に、イラクに君臨していた当時の自信にあふれた面影はなかった。 口をあんぐりと開け、従順にメディカルチェックを受ける様子――これは同時に本人と確認するDNA鑑定のための組織採取も兼ねていた――は「体制崩壊」の事実を内外に印象づけた。

 「赤い夜明け」と名づけられた作戦行動――この名称は1984年公開のジョン・ミリアス監督の反共映画(邦題『若き勇者たち』)から取ったとされる――では、CIA(米中央情報局)が所在情報を絞り込み、600人からなる第4歩兵師団と特殊部隊などが現場を押さえるかたちとなった。

 ブレマー連合軍暫定当局(CPA)行政官が拘束された元大統領を撮ったインパクトのある映像を公開し、イラク国民を代表する統治評議会の高官とともにニュースを発表するという段取りは、旧政権の残存勢力やテロ組織に対し指導者の喪失を決定づけ、合わせて治安や生活の改善も遅々として進まないことに不安と不満を抱くイラクの人々に対して1つの時代の明確な終わりを訴えかけることを目的とするものだった。

 「(イラク国民の)皆さんの希望の未来、和解の未来を見つめるときが訪れたのです」と記者会見で述べたブレマー行政官だが、その言葉は、戦闘終結から8カ月がたち、ようやく新たなイラクを建設するための仕切りなおしができることに安堵しているようだった。

 今回の戦争は、始まり方に無理があり、その終わり方も一方的だった。
バグダッドは陥落し、フセイン元大統領の銅像は引きずり倒されたが、イラク側が降伏したわけでも、停戦が合意されたわけでもなかった。 

 つまり、軍事的には組織的な抵抗がなくなった、という意味で連合軍側が勝利したことになるのだろうが、相手国(イラク)政府を打倒しながらも最高指導者は取り逃がした結果、新生イラク国家を作るにも、どこを非連続とし、どこに連続性をもたせるかについて、かなり難しい問題を抱えることになったのではないかと思わざるをえない。

 戦闘終了後の現地イラクにおける治安の悪化も、こうした戦争の曖昧な終わり方に由来するところが多いに違いない。 それでもなお、というべきか。いや、それだからこそ、フセイン元大統領拘束のニュースは、世界各地にじわじわと影響を及ぼし始めた。

 最も大きな変化の1つは、リビアの実力者カダフィ大佐が、大量破壊兵器開発の一方的な放棄とそれを確認するための査察の無条件受け入れを発表した(12月19日)ことである。これはリビアと米英との9カ月に及ぶ秘密交渉の成果ではあるが、タイミングといい発表の内容といい、米国に歯向かった独裁者の末路をまざまざと見せつけられた後のカダフィ大佐の心変わりがかなりの程度作用したと見えないことはない。

 米政府は目下、あくまでも「手ごたえのある具体的なステップ」の裏づけを条件としながらも、制裁の見直しや1979年以来閉鎖されている米大使館の再開なども視野に入れた検討を進めている。
リビアとイスラエルが水面下の接触を始めたという一連の報道も注目に値する。

 興味深いのは、カダフィ大佐がCNNインタビュー(12月22日)で北朝鮮やイランの指導者に対し、「自らの国民に悲劇が降り掛かることを防ぐためにもリビアに倣うべきだ」と、大量破壊兵器開発計画の放棄を促したことである。

 イラクとともに「悪の枢軸」と名指しされたイランと北朝鮮の対応は、しかし、温度差があった。
イランはフセイン拘束前の11月、すでに国際社会の圧力からウラン濃縮作業を停止し、その後12月には国際原子力機関(IAEA)による核査察強化のための追加議定書に調印するなど核開発疑惑の払拭に向けて一定の動きがみられていた。

 だが、国内的には今年の総選挙に向け、改革派とその躍進を抑えようとする保守派のつばぜり合いがあり、予断を許さぬ状況だ。 イランの核政策に前向きな動きが見られるなか、同国南東部バムで昨年末に発生した大地震に対し、米国はいち早く制裁措置を緩和し、人道救援の手を差し伸べた。パウエル国務長官もハタミ大統領ら改革派には意識的に関係改善に向けたシグナルを送っている。

 1月に入るとイランが米国の同盟国エジプトとの国交回復とのニュースも入ってきた。
米・イラン関係の今後の展開は、今年最も注目される動きの一つだろう。

米大統領選への含意

 では、残された「問題国家」のなかでも最も強硬姿勢の目立つ北朝鮮はどうか。
北朝鮮は、「帝国主義者(米国)らの威嚇・恐喝に負けて、戦う前にそれまで築いてきた国防力を自分の手で破壊したり、放棄する国々もある」などとリビアを間接的ながら批判する一方、米国の核問題専門家らを最も機微とされる寧辺の核関連施設に招き入れるという行動に打って出た。

 1月6日から10日まで現地を訪問したグループは、実験用黒鉛減速炉(5000キロワット)が稼動しており、さらに、約8000本あったとされる使用済み核燃料棒が核施設の貯蔵プールから搬出され、すでに「再処理が完了」したと思われることなどを確認している。

 この動きをどう評価するか。訪問団に対し、北朝鮮当局者は「米国の北朝鮮敵視政策に対抗する核抑止力を手にするため、再処理に踏み切った」と答えたという。狙いは、来る2回目の6者協議で有利な立場になることであり、平壌としては「核抑止力」という能力をすでに保持していることを自ら見せつけたのだと分析すべきだろう。 

硬軟とりまぜた北朝鮮の動きは、日本との関係でも見られている。拉致議連の代表として12月下旬に北京で平壌からの当局者と会談した平沢勝栄議員に対し提起された「出迎え方式」による拉致被害者家族の帰国提案などがその例である。 これらはみな「サダム以後」の北朝鮮の変化を跡付けるものといえるだろう。

 米大統領選との関連では、「フセイン拘束」のニュースでブッシュ大統領の支持率が急速に回復し、1月19日のアイオワ州での党員集会を前に民主党の対立候補たちの出鼻をくじくかたちになった。もちろん、11月の投票日までの長い選挙戦を考えると、まだまだブッシュ再選を確実視するには早いのだが。

 ただ、すべてが「サダム以後」で変わったわけではないことも認識しなければならない。
東南アジアでは、インドネシアのアチェやフィリピンのミンダナオ島などで悲惨な紛争が続いている。
ペナンの会議に出ながら、決して世界の耳目を大きく集めているわけではないが尊い生命が失われている困難な問題の解決がいかに求められているか、まざまざと再確認した。