大量破壊兵器はどこに 『グローバル・ヴィジョン』誌(2004年4月号)所収


 「今日、私はここに皆様方、そして米国民の皆様に対し、私たちの国や私たちの将来にとって重要なことをお話しにやってまいりました。」 真剣な面持ちのジョージ・テネット米中央情報局(CIA)長官は、去る2月5日、ワシントンDCにある名門校ジョージタウン大学で行った演説の冒頭をこのように切り出した。

 「米国の諜報機関は、過去10年間にわたりイラクの大量破壊兵器計画をどのように見積もり、その結果、2002年10月付の『国家情報評価(NIE)』がどのようにまとめられたのか、についてです」と長官は続けた。
問題は、昨年のイラク戦争開戦にいたる過程で、米国はどの程度イラクの大量破壊兵器開発計画について知っていたのかにある。

 きっかけは、イラクで大量破壊兵器の捜索にあたっている米政府調査団のデービッド・ケイ氏(CIA特別顧問)が1月23日、同調査団の団長を辞任し、「イラクに大量破壊兵器が存在するとは思えない」、「生物・化学兵器の大量備蓄はなかった」などと発言したことであった。 この結果、イラク戦争の大義の少なくとも1つが大きく揺らぎだした。

 メディアはこぞってトップ・ニュースにこの話題を取り上げ、大統領選で民主党候補のトップランナーのケリー上院議員はここぞとばかりに矛先をブッシュ政権に向け、厳しく責任問題を追及した。 イラク戦争は必要な戦争だったのか、それとも誤りだったのか。問題の核心は、米政府が旧サダム・フセイン政権の意図と能力をどれほど的確に把握していたのか、にかかってくる。米国の諜報機関の総元締めであるテネット長官の演説にはこうした背景があった。

「国家情報評価」

 米国の諜報機関は、主要な案件については、さまざまな手段(偵察衛星画像、通信傍受、人的ルートなど)で収集したインテリジェンス情報を「国家情報評価(NIE)」にまとめている。 文書の性格上、極秘扱いのNIEではあるが、今回ばかりはイラク戦争の正統性を根底から覆しかねないというので、CIA長官自らがその内容や作成過程を振り返っている。

 最もホットな話題に関するNIEの、しかもCIA長官による解説ということで、米国のインテリジェンス情報がどのように政策判断のための材料になっていくのかがつぶさにわかる事例研究ともいえるので、以下に、やや詳細にこのNIEの中身を検討しておくことにしよう。 それは、われわれが政策決定の立場におかれたとしたならば、「イラクに対する武力行使の要否」という究極の選択に対し、いかなる判断をしたのか、を考える素材を提供しているともいえるだろう。

 そこで、イラクの大量破壊兵器計画だが、テネット長官は、米政府のイラク調査団の活動は現在も続けられているので、あくまでも暫定的な評価だが、と断った上で、2002年10月の段階のNIEの分析と現時点でのその評価の適否について詳細に説明している。

 イラクの大量破壊兵器については、次のように、5つのカテゴリーに分けて情報が整理されていた。
第1は、ミサイル及び他の大量破壊兵器運搬システムに関するものである。
開戦前のNIEでは「イラクは国連安保理決議に違反し、ミサイル計画を継続・拡大していた」と、かなりの確度で判断している。 この部分についてはその後、どのような新事実が浮かび上がってきたのか。

 テネット長官は昨年秋の段階でのケイ前団長の発言を引き、「イラク政府は、(もしも対イラク攻撃=「イラクの自由」作戦が行われなかったならば、)1991年の湾岸戦争後に課せられた国連の規制に大きく違反し、運搬システムの改善を進めていることを結論づけるに足る十分な証拠を発見した」とのイラク調査団の報告に着目している。具体的には、イラクが射程1000キロの液体燃料型ミサイル開発を進めていたこと、および、禁止されている固形燃料型ミサイルを開発する計画が明らかになったことであった。

 日本からの視点で見逃せないのは、イラクが北朝鮮からミサイル技術の移転を求めるために秘密交渉を続けていたとする開戦前のインテリジェンス情報を裏付ける証拠も調査団は入手した、とされる点だろう。
これらを総合し、テネット長官は、「ミサイルに関しては、われわれの評価は概ね的を射ていた」と判断した。

 第2は無人航空機(UAV)に関するものである。UAVは、無人で飛行し、標的に向かって生物兵器をばらまくことが懸念されている兵器である。NIEは、イラクがこうしたUAV開発計画を指摘している。
テネット長官は、戦後、米国調査団は、UAVの小型化や新型機の設計が進められていたことを突き止めたという。

 以上を受けて、テネット長官の現時点での認識は、「米国としては、未申告のものも含め、イラクが禁じられているUAV開発を行っていたことは察知したが、イラクが実際に小型UAVを生物兵器運搬に用いようとしていたかまでははっきりしない」としている。

インテリジェンスの世界

 第3は、核兵器について。NIEでは、サダム・フセイン元大統領が核保有の意図をもっていたことをすべての情報機関の同意するところであり、もしもイラクが材料となる放射性物質を入手できたならば、向こう1年以内に核開発は実現していたと考えられるものの、実際に核保有をしたことまでは把握できていない、と指摘している。
テネット長官は核兵器に関するNIEでは、次の2点が明記されているにもかかわらず、メディアなどでの議論では見過ごされている、と反論している。

 その第1は、NIEではフセイン元大統領が核兵器保有をしているとは言っておらず、2007−09年頃までは自力で作ることはできない、と見ていたことである。 そして、第2は、元大統領がいつでも核兵器開発を再開できるような準備態勢を整えていた、と米情報機関が見ていたことである。その詳細は機関によって違う分析結果が出たらしく、NIEのなかでは、いくつかの見方の存在がそのまま反映されていた、という。

 したがって、開戦後の情報を加えても、フセイン元大統領が核兵器を保有するまでにはいたっていなかったことは事実と考えられる。テネット長官もこの見方をとるが、イラクが機会を見て、常に核開発を再開できるような態勢にあったことも付け加えている。 ただし、どの程度の技術力があったのか。長官は、率直に、米政府がイラクの能力を過大評価した可能性についても言及している。

 第4と第5のカテゴリーは生物兵器と化学兵器だが、イラクはこれらを保有していた過去があり、現在も生産をいつでも再開できるような態勢を整えているが、現時点までに兵器そのものは見つかっていない、という評価が加えられている。 では、全体として諜報機関の分析は正しかったのか、間違っていたのか。

 テネット長官は、インテリジェンスの世界には完全な間違いもないが、完全なる正解というものもない、と指摘する。相手が秘匿をし、あるいは意図的にごまかそうとしている情報を引き出そうとするわけなので、完璧などはありえないわけである。NIEがあくまでも「評価」にとどまるのは、そのためでもある。

 最終的には政治の判断だ、ということになるのだろう。だが、テネット長官は完全ではない情報のなかでもイラク攻撃を非正統化するものはなかったとの立場であり、これは2月8日、米国の民放テレビに異例のゲスト出演し、大量破壊兵器の存在の確たる証拠がなくても「その開発能力と意図と使用歴」が脅威を構成するという認識を出していることとも一致する。 

 今回のイラク戦争は、いみじくも外交における情報の重要性を際立たせるとともに、情報分析の難しさや限界をも思い知らせるケースとして記憶されることになるに違いない。