研究動向 : 政治思想 / 単行本
平山洋『福沢諭吉の真実』(文春新書394、2004年8月)
 目下、話題の一書。何人かの人から批評を聞いて出張の飛行機のなかで読んだ。
 主題は『福澤諭吉全集』(岩波書店)に収録された『時事新報』の論説に、福澤執筆ではない論文が多数収録されていることを論証すること。福澤門下の石河幹明が自己顕示と名誉欲から、意図的に自己の執筆したものを混入させたとされている。
 『時事新報』に福澤執筆ではないものが含まれているのは、文体などから判断して間違いない事実だと思うが、本書では、下手な推理小説のように、善人と悪人が腑分けされている。本書の背景には、安川寿之輔『福澤諭吉のアジア認識』(高文研、2000年)にもとづく平山と安川の論争がある。安川は自著で『時事新報』論説などを中心に、福澤のアジア蔑視を徹底して糾弾した。平山の主張は、安川が論拠にした論説は福澤が執筆したものではないと批判することである。安川の本は、福澤の思想をアジア蔑視という道徳論に解消したもので、思想論としては取るに足りない。本書は安川の本と好一対で、比喩を使えば、真っ黒いカンバスを真っ白に塗り替えたもの。薄っぺらい福澤像を提出した点では、安川に劣らない。
 福澤諭吉の著書には、「福澤諭吉立案、****筆記」と表紙に記されたものがたくさんある。たとえば『尊王論』は「福澤諭吉立案、石川半次郎筆記」である。平山は「クーデタ騒動の渦中(何のこと?)に刊行されたこの『尊王論』の真の起草者は石河幹明であると判明した」と述べているが、「臣民」という語を使っていることなどを根拠に、福澤の著作リストから都合の悪い書物を削除する(?)のではなく、たとえば『帝室論』(こちらは福澤諭吉立案、中上川彦次郎筆記)とどう違うかなど、もっと思想的レヴェルで議論をしないと、読むに足る福澤像は描けないだろう。〔2004.10.10〕

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